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大阪高等裁判所 昭和58年(行コ)42号 判決 1985年10月22日

京都市左京区下鴨宮崎町一六六番地の一〇

控訴人

笠松君子

同所同番地

笠松高行

東京都港区赤坂七丁目六の五六

坪井英子

右控訴人三名訴訟代理人弁護士

大槻龍馬

谷村和治

安田孝

京都市東山区馬町東大路西入ル新シ町

被控訴人

東山税務署長

伴恒治

右指定代理人

竹中邦夫

足立孝和

高見忠男

中村嘉造

主文

本件控訴をいずれも棄却する。

控訴費用は控訴人らの負担とする。

事実

第一申立て

一、控訴人

1  原判決を取り消す。

2  (主位的)

被控訴人が、昭和四四年四月二六日、亡笠松高光に対してした昭和四〇年分ないし昭和四二年分の所得税の更正処分及び加算税賦課決定処分(裁決によって一部取り消された後のもの)を取り消す。

訴訟費用は、第一、二審とも被控訴人の負担とする。

(予備的)

被控訴人が、昭和四四年四月二六日、亡笠松高光に対してした、

(一) 昭和四〇年分の所得税の更正処分及び重加算税賦課決定処分(裁決によって一部取り消された後のもの)のうち、所得税額一一五〇万七九一八円、重加算税額一六七万七〇〇〇円を超える部分

(二) 昭和四一年分の所得税の更正処分及び重加算税賦課決定処分(裁決によって一部取り消された後のもの)のうち、所得税額六〇七四万五〇七〇円、重加算税額一四五七万九二〇〇円を超える部分

(三) 昭和四二年分の所得税の更正処分及び重加算税賦課決定処分(裁決によって一部取り消された後のもの)のうち、所得税額七一二六万九八〇〇円、重加算税額一七七六万九九〇〇円を超える部分

をいずれも取り消す。

訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。

二、被控訴人

主文同旨

第二主張

次のとおり付加・訂正するほかは、原判決の事実摘示のとおりであるから、これを引用する。

一、控訴人ら

1  原判決四枚目裏二行目の「六万四三〇〇」を「一五〇〇」に、「二七万四四〇〇」を「二一万三三〇〇」にそれぞれ改める。

同六枚目表四行目の「一連の行為」の次に「であり、実質的には一体をなす処分」を加える。

2  原判決が、控訴人君子が昭和三二年頃から手許に保有していた六二〇〇万円を幸信産業株式会社(以下「幸信」という。)及びその代表者藤田三郎に利息日歩五銭ないし五銭五厘で貸付け、昭和三九年三月二五日までにその元利合計一億〇九六八万〇一五〇円を回収した事実を正当に認めながら、この金員を昭和三八年から昭和四一年にかけて夫の笠松高光(以下「高光」という。)が営んでいた大和病院の毎日の現金による医療収入に混入させていたとの事実が認められないとして控訴人らの主張を排斥したのは失当である。即ち、原判決は控訴人君子固有の右手元資金の存在を認めたのであるから、その高光の現金収入への混入の有無を明らかにするには、高光の診療による現金収入額を確定する必要があり、その為には病院の日々の自由診療収入を最も正確に判定し得るカルテ(甲二七号証の一ないし一〇八、二八号証の一ないし二二、二九号証の一ないし一七、三一号証の一ないし七)とそれを集計した入金伝票(甲一四号証の一ないし三四六八、一五号証の一ないし六一一、一六号証の一ないし五一七、一七号証の一ないし二六、一八号証の一ないし二七、一九号証の一ないし二二四、二〇号証の一ないし一二三、二一号証の一ないし四三、二二号証の一ないし一一七、二三号証の一ないし六、二四号証の一ないし六、二五号証の一ないし一二七、二六号証の一ないし一八)によるべきであるのに、これを全く無視し、控訴人君子が記載した手帳を唯一の証拠として、その記入金額から自由診療収入を計算した。しかし、右手帳は病院の新館建築をためらう高光に新館建築を決断させるために、控訴人君子が右手元資金を毎日の現金収入に混入させ、高光に現金収入が多いように見せかけるために水増した金額を記載したものであり、正しい診療収入額を算定する証拠資料とはなし得ないものである。また、本件査察調査により控訴人君子の固有資産も明らかにされているのであるから、原判決は控訴人君子の前記自己資金の存在を認定した以上、それが別途何らかの形で存在することが明らかにならない限り、前記混入の事実を否定することができない筈である。

3  控訴人君子が昭和三四年六月九日と昭和三五年四月一五に各五〇〇万円を藤田に貸付けた証拠として、控訴人らが提出した甲二号証の六、七の約束手形二通の手形用紙が、その振出日当時には市販されていなかったことは認めるが、これをもって控訴人君子の藤田に対する右貸付けの事実を否定することはできない。藤田が控訴人君子から資料の提出方を頼まれた際、これを紛失ないし処分済であったため、前記約束手形二通を再発行したと考えるべきである。

4  原判決は控訴人ら主張の各簿外経費をいずれも認めなかった。しかし、色々の事情から正規の帳簿に計上できない経費があったことは証人松本彪の証言、甲五ないし一三号証から十分に認定し得るもので、原判決がこれらの証拠の判断の誤り、本来その立証責任が被控訴人にあるのに、これを誤り控訴人らに誤って転嫁したのは不当である。

二、被控訴人

1  原判決七枚目裏三行目の次に行を変えて次のとおり加える。

「青色申告承認取消処分と更正処分とは、それぞれ目的を異にした別個の処分である。即ち、青色申告承認取消処分は、誠実で信頼性のある帳簿書類の記帳を義務づけられた納税者がその帳簿書類に取引の全部又は一部を隠ぺいし又は仮装していることその他法律の定める一定の要件に該当する行為をなした場合に、青色申告制度に係る納税上の種々の特典を剥奪する処分であるのに対し、更正処分は、すでに観念的に成立している一個の租税債務をその正当な数額に具体化するためになされる処分であり、これらの処分が実質的には一体をなす処分であるとする控訴人らの主張は理由がない。」

2  控訴人君子が幸信及び藤田に合計六二〇〇万円を貸付け、元利合計一億円余りの返還を受けたとの事実が存在しないことは次のことからも明らかである。

(一) 控訴人らは控訴人君子の幸信及び藤田に対する貸付金の証拠として甲二号証の三ないし一〇の約束手形や預り証を提出している。

そのうち約束手形(金額各五〇〇万円、振出日昭和三四年六月九日((甲二号証の六))と昭和三五年四月一五日((同号証の七))については、コクヨ株式会社が様式変更を指示した昭和三七年一月一二日以後に作成・販売した手形用紙が使用されている。してみれば控訴人君子が藤田に昭和三四年八月九日と昭和三五年四月一五日に各五〇〇万円を貸付けた際、右約束手形二通を藤田から受取ることは不可能であり、右約束手形二通は後日控訴人らの主張を正当化するために作成されたものと認めるべきである。

また、預り証のうち、昭和三六年四月一日付一二〇〇万円(同号証の八)、同年九月一八日付一〇〇〇万円(同号証の九)、及び同年一一月二四日付五〇〇万円(同号証の一〇)の各預り証に付されている番号は五七〇ないし五七二と連続しているが、一二〇〇万円の預り証の作成日付の昭和三六年四月一日から五〇〇万円の預り証の作成日付の同年一一月二四日までの間には約七か月余の期間がある。しかし、幸信は金融業を営んでいたので、七か月余の長期間に控訴人君子以外の者からの借入金若しくは一時返済金等の預り金が全くなかったということは極めて不自然であるから、右預り証の番号が連番となっていることは、これらの預り証が一時に作成されたもの、即ち控訴人らの主張を正当化するため後日一括して作成されたものであることを裏付ける。

そうすると、番号を付されていない預り証(同号証の三ないし五)についても、その作成日付け当時に作成されたものではないのではないかとの疑問が生ずる。

(二) 控訴人君子は原審において幸信や藤田に自己資金を貸付けたことについて、「主人には絶対内緒のお金ですから、これは口がちぎれても言わないですましたいと思っていた」と供述し、藤田を知るきっかけとして、「正月に主人の兄弟三人が集まった席で藤田さんに会ってみたらと兄さんから聞いた。」と供述している。右供述からすると、控訴人君子にとって自己資金の存在は夫に絶対内緒であったのであるから、その夫の兄に相談したり、同人がよく知っている人物に預けるということ自体が理に反しているし、夫の実家で夫高光を含む兄弟三人一緒の席で控訴人君子がこのような重要な事項を明らかにしたとも考え難い。

(三) 控訴人君子と幸信・藤田は、契約書を取り交わすことなく、八回にわたり合計六二〇〇万円の貸借を行ったというが、金融業者である幸信・藤田が簡単な口約束だけで契約書を作成せずに多額の金銭を借り受けたとは考えられない。また、当時離婚を考えていた控訴人君子にとって六二〇〇万円は夫以上に頼りになる存在であるのに、このような大金を余り面識もない幸信・藤田に契約書を作成せず、担保もとらずに貸付けたとは信じ難い。なお、幸信・藤田らは借受け金返済を証する預り証・約束手形を保管しながら、利息支払に関する領収書等を一枚も保管していないことは不自然である。

(四) 藤田らが作成したという更二号証の二の借入金明細書によると、幸信借入金の昭和三六年九月一八日・一〇〇〇万円と同年一一月二四日・五〇〇万円の利率は日歩五銭と記載されているのに、甲三号証の「会社(幸信)借入金支払利息月別」では利息はすべて日歩五銭五厘で計算されている。

また、甲三号証の「社長(藤田)借入金支払利息月別」と右「会社借入金支払利息月別」の借入金額の上部に各月の利息計算の基準となる日数が記載されているが、藤田借入分の各月の日数は実日数より一日多く、幸信借入分のそれは各月三〇日となっており、取扱いが異なっている。なお、藤田借入分の右取扱いによれば、昭和三五年はうるう年で二月は二九日であるから三〇日として計算すべきであるのに例年と同じく二九日として計算されている。

更に、甲三号証の藤田借入分の昭和三二年一一月・五〇〇万円に対する利息は三一日・日歩五銭の割合の七万七〇〇〇円と記載されている。前記借入金明細書によると五〇〇万円の借入日は同月二五日であるから、右三一日の期間は同月二五日から同年一二月二五日までの筈である。次に昭和三三年五月二〇日の借入金一〇〇〇万円についての甲三号証の同年五月の利息は同月二〇日から同年六月二五日までの三七日を基準に計算され、同じように、昭和三三年一二月二日の一〇〇〇万円、昭和三四年六月九日の五〇〇万円及び昭和三五年四月一五日の五〇〇万円の借入金の更三号証の借入月の利息はすべて借入日から翌月二五日までの日数で計算されている。そうすると、昭和三八年一一月の利息は同年一一月二五日から同年一二月二五日までの三一日を基準に計算されている筈である。しかし前記借入金明細書によると藤田の借入金は同年一二月二五日にすべて返済されているので、藤田借入金に対する利息は同年一一月で支払が終了している筈であるのに、甲三号証には同年一二月の利息も記載されている。

以上のように、控訴人らが控訴人君子の幸信・藤田に対する貸付けの証拠として提出した計算書類の記載自体にも矛盾が多い。

(五) 控訴人君子は原審及び当審において「右貸付金の利息を毎月現金で受けた元利合計一億円余のうち常時七〇〇〇万円位をトランクに入れて家の押入れに置いていた。」と供述している。しかし、控訴人君子が原審において「終戦後真珠の販売から得た利益をインフレに強い宝石や真珠で持ち、これらを処分した資金を株式の購入代金等として運用し、右資金以外の一八〇〇万円を富士銀行島ノ内支店に預けていた。」と供述しているとおり、控訴人君子は自己資金の運用に格別の配慮をし、利殖に長けていた筈であり、昭和三八ないし四一年当時七〇〇〇万円もの大金を利子のつかないいわゆるタンス預金にしておいたとは考え難い。

3  控訴人君子の夫の高光が建築した病院の新館は、昭和三七年に設計され、昭和三八年初めに着工され、昭和三九年二月一六日に竣工しており、高光の新館を建築するとの意思決定は、設計をする以前になされていた筈であり、控訴人君子が幸信・藤田から元金の返済を受けたと主張するのは昭和三八年一一月以降であるから、「新館建築をためらう高光に気を大きくさせて建築を決断させるために」右自己資金を高光の自由診療収入に混入したとの控訴人らの主張は信用できない。

4  本件査察時に押収したのは、カルテ倉庫に保管されていた昭和三九、四〇年分のカルテだけであり、看護婦詰所の棚に保管されていた入院患者のカルテ、受付のカルテ保管康にあった外来患者のカルテ及びカルテ倉庫に保管されていた昭和三八年以前に初診の患者のカルテが含まれていないから、押収したカルテだけでは高光の診療による現金収入を確定できないことは明らかである。

5  控訴人らの主張するような簿外経費の個別的・具体的な立証責任は、被課税者の控訴人らに存する。

6  原判決添付別表1の2の「自由診療等収入金の計算表」の「D自由診療等の収入金算出の過程」欄の「<ハ>同期首現在収入金」を「<ハ>同期首現在未収入金」に改める。

第三証拠関係

本件記録中の証拠関係目録記載のとおりであるから、これを引用する。

理由

一、当裁判所も、控訴人らの本訴請求はいずれも理由がなく棄却すべきものと判断する。その理由は、次のとおり付加・訂正するほか、原判決の理由説示のとおりであるから、これを引用する。

1  原判決一四枚目裏四行目の「主張しているが、」の次に「青色申告承認の取消処分は納税者の地位及び納税申告の方法に関するものであるのに対し、更正処分は課税処分として納税義務及び税額を確定するものであって、それぞれ目的及び効果を異にしており、その手続も截然と区別されたものであるから、たまたま右二つの処分の基礎とされた事実関係の全部又は一部分が共通であって、これに対する納税者の不服の事由も同一であるとみられるようなときであっても、」を加える。

2  同一六枚目裏二行目の「本人尋問の結果」の次に「(原審及び当審)」を加える。

3  同一八枚目裏九行目の「中には、これにそう供述がある。そうして」を「(原審及び当審)」に、同一一行目の「によると、同原告は」を「は、同原告が」に改める。

4  同一九枚目表五行目の「ことが認められ」から同六行目までを「との原告らの主張事実にそう証拠である。しかし、成立に争いのない甲三三号証の一、乙二八号証及び前掲各証拠を検討すると、当審における被控訴人の主張2の(一)ないし(五)のとおりの疑問があり、前掲各証拠によっては右事実を認めることができず、他にこれを認めるに足りる証拠はない。」に改める。

同七行目の「しかし、原告が」を、「仮に、前記各証拠によって右原告主張の事実が認められるとしても、原告君子が」に改める。

5  同二〇枚目裏五行目の次に「当審における原告君子本人尋問の結果によると、高光は昭和三七年に病院の新館建築のための設計を終え、昭和三八年初めにその建築工事に着手し、その新館は昭和三九年二月一六日に完成したことが認められるので、混入したと主張する時期からして、高光の診療収入を実際より多く見せかけ高光に病院の新館建築を決断させるために混入した旨の原告君子の供述は容易に採用できない。」を加える。

6  同二一枚目裏七行目の「一により、」の次に「及び」を加える。

7  同二一枚目表一一行目の次に行を変え次のとおり加える。「収入金額から必要経費を引けば課税標準たる所得金額が得られるが、右所得金額について被告が立証責任を負担するから、必要経費の不存在即ち必要経費が被告の主張金額を超えて存在しないことの立証責任は被告にあるが、本件のように納税者が経費について詳細な帳簿をつけている場合には、簿外経費の不存在が事実上推定され、原告において簿外経費の具体的内容を明らかにし、ある程度これを合理的に裏付ける証拠を提出しない限り、右事実上の推定を覆すことはできないと解するのが相当である。

以下右考え方の下に検討する。

8  同三〇枚目表二行目の「金額であ」の次に「ることは(二)で検討したところであ」を加える。

9  同三七枚目(別表3の1)の終りから七行目の「七二〇〇」を、「一、二〇七、二〇〇」と改める。

二、よって、本件控訴はいずれも理由がないので棄却し、訴訟費用の負担について行訴法七条、民訴法九五条、八九条、九三条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 栗山忍 裁判官 惣脇春雄 裁判官 河田貢)

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